マンションによって、コミュニティの形はずいぶん違うものだ。
以前、住んでいた堂島のマンションは、管理組合の委員に選ばれたとき、委員同士のコミュニケーションはあったけど、一般にはほとんど隣人との会話はなかった。別に嫌いあっているのでなく、エレベータなどでは、知らない住民同士で挨拶するが、ほとんど会話の必要性もなかった。しかし、郵便受けやドアには、ちゃんと住民の氏名が書いてあった。
奈良学園前のマンションでは、郵便受けや住戸には、全員共通のプレートを作成して張り付けた。また、住民同士の持ちつき大会や公園での井戸端会議など、結構和気藹々としたお付き合いがあったものだ。
現在のマンションに移り住んで再び堂島に戻ってきたが、ここでは、郵便受けも住戸のプレートにも住民の名前は一切書いてなくて、コミュニティも皆無に近い。集会室を使ったヨガやソーシャルダンスなどのいくつかの会が開催されているが、それ以外は、管理組合の集会程度で、本当に住民同士のコミュニティがなく、さびしいと言えばさびしい限りだ。なにしろ、同じフロアに住んでいる人の名前も全然知らない。
しかし、公園で遊んでいる人やエレベータに乗り合わせたときは、結構、丁寧に挨拶している。
他の知人の話を聞いて感じることは、やはり都心のマンションはあまりコミュニケーションを好まないようで、郊外に行くほど、住民同士のお付き合いは緊密になるようだ。都心では、マンション内での住民の自由と孤立が徹底しているのだ。住んでみると、それが別に気になることもない。しかし、知人がマンションを訪ねてきてくれたりしないのであれば、高齢者にとってはすごく寂しいのではないかと思う。
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