2007年10月25日木曜日

タワーマンション・ライフ(1)それ以前



ボクが大阪の堂島にマンションを買ったのは、もうずいぶん昔のことで、当時は、町の中にマンションがあまりなかった時代だった。当時、ボクは独身で池田のアパートに住んでおり、北摂の大阪大学の近くのマンションを物色していた。そのマンションはとても見晴らしがよく、大阪市内を一望でき、阪急の駅にもそれほど遠くなく、車による移動もとても便利だと思ったのだ。しかし、中央環状道路沿いで、毎日ものすごい車の量と渋滞で排気ガスによる空気の汚染が気になった。

同じ市内であれば郊外よりド真ん中がいいんじゃないかと思っているとき、偶然テニスに行くため国道2号線を車で走っていると、福島あたりの道路沿いに旗が立っていて、近くにマンションのモデルルームがあると知って立ち寄ってみたのだ。環状線の線路の脇に立ち退いた一戸建ての跡地のような場所にモデルルームがあり、見てみると、堂島川のほとりに立つということだ。南向きの川べりであれば、前にビルが建つこともなくないし、大きな道路から少し離れているので静かだろうし、かなり気に入った。しかし、その日から7日間、毎日モデルルームに出向いて捺印しないと抽選会に失格という厳しい状況。結構人気があったので、買う気のない客を選別する手段だったんだろうね。ボクは、確か110番目くらいの順位番号だったけど、1週間の出席確認が終わった時点では、半分の60番目くらいになっていた。

抽選日までの間、マンション建設予定地の近くに行って、何回も現地調査を行った。まず、川に面していることが必須用件。それから、当時乗り回していたフェアレディZと一緒に入居できることが条件で、つまり駐車場があるということだ。それから、都心であるから贅沢は言えないがまあまあの環境であることだ。現地は福島区で梅田からそれほど遠くないのだけど、当時はまず堂島川が汚い。ひどいときは上流の大阪市役所のそばの淀屋橋でも川の水がプーンと匂うのだった。それから、川の堤防の内側に沢山の車が駐車しており、中にはほとんど壊れて破棄されているような車も並んでいた。

大阪の郊外である箕面に住んでいる親類のおばさんが見物に来たとき、「汚いところやねえ。こんなところに本当に住むの?」と言われてしまった。でもボクの頭の中には街に住むなら真ん中でしかも堂島だったら歴史もあるところじゃんか、と決めてしまったのだ。抽選の当日、番号の若い人から好きな住宅の場所を指定していく方法で、川に面した部屋からどんどん決まっていく。ボクの順番に来るころには、もう数戸しかない。ところが、ボクに順番が回ってきたときに、川に面した最上階が1戸残っていた。「やった~」ということで、その住居の購入を決めた訳だ。しかし駐車場は、マンションの1階に10台ほどしか場所がなくて抽選で当たらなかったので、汚いとボヤいていた川沿いの空き地に車を停めていた。

マンションが完成し、住んでみるとだんだんその街にも馴染んできた。
最初気がついたことは、街が汚い。役所が汚い。道路が汚い。
それまでは、比較的高級な住宅地のイメージがある池田市に住んでいたので、転出届を出す池田市役所と転入届けを出す福島区役所のあまりの違いに愕然としたものだ。池田市役所の美しさと若い女性が丁寧に窓口の案内をしてくれて、番号札のディスプレイによる呼び出しがあるなど今でも負けないくらい現在風だった。ところが、福島区役所に来ると、自動ドアもなく、年老いたおっちゃんが窓口でぶつぶつ言いながら薄暗い事務所で対応していたのだ。正直、「こりゃあかんわ」早く金儲けして芦屋かどっかに次の住居を探そう!と本当に思った。

しかし、街もだんだんと変わってきた。数年後、マンションから出て行く人の駐車場が空いて、抽選の結果、ボクが場所を射止めた。わ~い。その後、川沿いの空き地が整備され植樹がされて美しくなった。もちろん、車を置くこともできなくなったので、危機一髪助かった訳だ。また、1軒おいた隣に新築マンションができた。当時、比較的高級なマンションとして販売された。そのうち、川の対岸に中之島遊歩道が建設され、美しい川沿いの並木道が完成。かなり街の雰囲気が良くなってきた。その後、まわりにじゃんじゃんとマンションが建設され、バブルの頃には、めちゃバブリーなマンションもできた。特に隣に建った「アーバンライフ堂島」は、ボクたちのマンションより背が高く、川に面していない側の住居の日照に影響が大きく、ボクたちのマンションの住民が結束して建設反対運動を展開したものだ。

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