2007年10月30日火曜日

タワーマンション・ライフ(6)緑は大切



マンションの最大の問題は、戸建てと比較して、庭もなく玄関に木を植えることもできないので、どうしても緑が少なく、殺風景な生活になりがちである。ときどき、マンションの上層部でルーフテラスなどがつく住戸が販売されることがあるが、1棟の建物に数戸という貴重な住戸となり、価格が割高ではあるが非常に魅力的である。ルーフテラスがあれば、ちょっとした庭や盆栽の棚、ガーデニングなど、緑の花木を楽しむことができる。しかし、タワーマンションでは、ルーフテラスのある住戸など考えられないし、あっても風が強くて使い物にならないだろう。特に都心のマンションであれば、自分のマンションに付属している小庭や、ロビーに坪庭がある程度なの、どうしても、周辺の緑が頼みとなる。

そういう意味でボクの買ったマンションなどは、建物の周りにわずかに植樹された木々以外は、街や公園の緑しか期待できない訳である。幸い、このマンションは、堂島川に沿って遊歩道が設置されており、人工的ではあるが、緑が植えられており、川沿いの散歩などの時に、とてもうれしい。川の流れと木々を見ながら、自動車の危険に心配することなく、ゆっくり歩けるのは、非常に魅力的。

もうひとつは、小さな道を挟んでマンションの玄関の前からすぐに入れる下福島公園。グラウンドの周りに1週480mのランニング用のトラックがあり、グラウンドは、4組の野球ができるほど広い。周辺には結構いちょうなどの木々が植えてある。地震のときなどの広域避難所なので、ヘリポートに逃げるより、公園に非難するのが正規の行動なんだろうね。

ボクが個人的に気に入っているのは、夙川あたりの緑いっぱいの周辺マンションや池田市の五月山、甲陽園などの山に近くのパノラマ景観のすばらしいマンション、塩屋や須磨付近の海の見えるマンション、大阪城やうつぼ公園などの広大な緑の周辺にあるマンション、中之島公園の近くのマンションなどがとても魅力的だ。

タワーマンション・ライフ(5)川が好き



ボクがマンションを買う場合は、ベランダの外の風景が購入の絶対的な決め手になる。マンションのいいところは、防犯のしやすさと眺望が大きな割合を占めると思うからだ。
最初のマンションは、前に述べたようにこの川のすぐ上流なので堂島川やリーガロイヤルホテルを眺められて、結構好きな風景だった。その後、転居した奈良のマンションは、見晴らしはもうひとつだったが、南向きの住戸で、マンション付属の小さな公園が眼下に見えた。今回購入したマンションは、高層なので川の眺めはほとんどないけど、絶景!

しかし、マンションでは川や海などの水がベランダから見えるのは、とても気持ちがいい。その点では、堂島川は、お世辞にもきれいとは言えないが、時々船が通り過ぎ、魚が水辺を跳ねる音がし、水鳥が飛ぶのを眺めるとうれしくなる。少し前までは、川沿いがやたら汚かったが、最近は中之島の景観を良くしようとの行政の努力もあって、川の水もそれなりにきれいになり、川に沿った遊歩道が整備され、ときどき「なにわ探検クルーズ」の遊覧船が走る。

現在は、京阪電車中之島線の工事中で遊歩道も仮歩道となっているが、中之島線の工事が完了したら、また緑いっぱいの遊歩道になるものと期待している。また、建築家の安東忠雄氏らの提唱で、堂島川の川辺に「平成の通り抜け」という桜並木の植樹プロジェクトもあり、ボクのマンションの向かいの堤防にも桜の木が植樹されている。

思うに、マンションを購入する場合は、その地域にどれだけの社会資本が投じられているか、ということがマンションの周辺環境に決定的に重要な影響を与えると思う。これだけは、いくら巨大なマンションでも行政などの長期的努力がなければ成立しないし、将来の街の基本的な想像図になるのだ。だから、大阪なら大阪城周辺であり、中之島周辺であり、キタであり、ミナミなのだ。

ボクの住んでいるマンションは、結構有名な堂島大橋の北詰にある。そのため、大阪近辺のタクシーでは、「堂島大橋の北詰」と言えば一発で自宅まで送ってくれる。この橋は、大橋というほど大きくはないが、昔は近くに堂島小橋という橋があったので、こちらが大橋になったそうだ。また、戦時中は、橋をアスファルトで固めてあったため、空襲でタールが長い間燃え続け、いまでも石の欄干に焦げ跡が残っている。最近、鉄製の橋げたに落書きする不埒物が現れて汚されることもある。

タワーマンション・ライフ(4) わ、地震だ






高層マンションで一番気になるのは、やっぱり火事や地震だろう。ボクの入居したマンションは屋上にヘリポートがあり、タワーリング・インフェルノになると、ボクの部屋からだと1番先にヘリポートに駆け上がって、ヘリコプターに助けてもらえる筈だ、と信じてたら、「このHマークはヘリポートがホバリングするだけで、着陸はしないんですよ」と後で聴いてガックリ。

しかし、ボクが管理組合の委員になったとき、マンションの施設の管理のため、ヘリポートに上がったことがあったが、その階段を登る時の怖かったこと。風が吹き付け、階段の下がスカッと見える場所を、急いで登るなんて二度とごめんだ。もちろん、火事になって煙に追われていたらそんなことは言っていられないだろうが。。。ヘリポートに上がると、当然だけど、手すりもなくただっぴろい広場。風に体ごと飛ばされないように注意しながら真ん中に行ったが、360度見渡せる平面に立つと、すんばらしい絶景だったけど、めちゃ怖いよ。今にもどちらかに倒れて転げ落ちそうな気がする。

ボクが入居して5年近くになるが、かなり大きな地震を数回体験した。このマンションは、特に免震構造などを採用していない。実際、自宅で地震に会うと部屋全体が左右に大きく揺れ、思わず床にへばりついたが、大きな船に乗ったように大きくゆったりとした揺れ方だ。怖いというより、船酔いのようで気持ちが悪いと言う感じ。あるときは、出かけている間に地震があり、マンションに帰ってくると、点検して安全性が確認されるまで使用禁止と張り紙があり、エレベータが停止している。地震であれば、あちこちのエレベータの点検が集中する訳だから、業者が来てくれるのがいつになるか分からない。

そのうち、娘もマンションに帰ってきて「あらぁ、エレベータ停まってるの? え~。どうしよう。。。」ボクが「いつ動くか分からんから、ヤだけど階段で帰ろうか」と、階段エリアのドアを開けて中に入った。そこから上を見上げてボーゼン。「ホントに上まで上るの?」「仕方ないじゃん」「母に途中まで迎えに来てもらおうか」「そんなことして、何の役に立つんや」などと言いながら、取り敢えず登頂に挑戦。20階くらいまで登ると、足がブルブル震えている。「どうする?諦めて降りるか」「どっちも、いや」と言いつつも、43階まで無事に到着。そこで、地震のときの教訓。「地震の後は、エレベータが使えるようになるまでマンションに帰るな」

いずれにしても、地震を怖がっていては高層マンションには住めないのだ。揺れたときは、タダで遊園地のゲーム機に乗れたと思って楽しむことだ。高層マンションが倒れるときは、普通の住戸だって無事では済まないし、揺れの振幅によっては低いマンションの方が被害が大きい場合もある。本当にマンションが倒れたときは、高層部分であれ、低層部分であれ、絶対生きていられないから、安心してきれいに死のう。

2007年10月29日月曜日

タワーマンション・ライフ(3)住んでみた最初の感じ




購入したタワーマンション(その当時は、タワーマンションなんて言わなかったなあ)は、最上階の東南角部屋という一般的に条件がいいと言われる位置だった。

間取りは4LDKで家族4人だから、1人1部屋ずつ割り当てた。妻は、住宅の中心付近の和室を、子供たちは、母親に比較的近い窓際の個室。ボクは、夜遅くまでパソコンをいじったり音楽を聴くので、1番奥の少し広い洋室、ということで、家族構成にはぴったり。

実際に住んでみると、まわりに何も障害がないので朝日が正面から差し込んで来て、やたら明るい。薄手のレースカーテンと厚手のカーテンを使いこなして光の調整をしないと午前中は眩しすぎる。午後は、反対側からの日照なので、直接日光は当たらないが、前面に建っている高層建築(リーガロイヤルホテルや国際会議場)などの照り返しが結構強い。多分、少ししたの階だと、ビルのガラスの反射が結構気になるのではないだろうか。

すぐ、正面を堂島川が流れているんだけど、ベランダに出て見下ろさない限りあまり見えない。それより、生駒山や金剛山などの遠くの山並みが見えることに感激する。もちろん、大阪もそれなりに大都会なので、無数のビル群とその間を縫うように走っている阪神高速道路がいつも眼下に見えている。

高層マンションのうれしいところの1つに、上半身裸でウロウロしていても、ほとんど覗き見られる心配がないことだ。もちろん、高層マンションが林立している場合は、向かい同士で気になるだろうけど、単独マンションというのは、見晴らしと見られないことの両方が素敵だ。それでも、一度びっくりしたのは、目の高さのすぐ上くらいを新聞社のヘリコプターが通過して、裸で寝転んでいる姿を見られてしまったど。。。

このマンションは、低層階用に2基と高層階用に2基設置されているが、住戸が多い割りには、それほど混むことはない。高層階だと、確かにエレベータによる上がり降りが結構面倒に感じるけど、それは上層階から世間を見ることができると思えばどうということもない。多分、性格がちょっとバカだと、どんどんエレベータで上に昇るに従って気持ちがうきうきして来るもんだ。エレベータは、だいたい1フロア分を1秒くらいで通過するので、43回だと約1分弱だから、だれも乗らないときは、それほど気にならない。しかし、通勤間近のラッシュ時などは、やたら時間がかかるので、みんなそれぞれに空いていそうな時間帯を選んで出かけているみたいだ。一番ショックなことは、下に降りてから忘れ物に気付いたときだ。タイミングが悪いと、ドアが閉まった直後に気が付くことがあるが、そうすると昇りに1分、降りに1分、停止する数によるが、合計で1分程度みておかないといけないので3分くらい待たされるときもある。

2007年10月28日日曜日

タワーマンション・ライフ(2)購入してしまった










そのうち、結婚し、こどもができると、3LDKでは、ちょっと狭いなと思っていたが、久しぶりに住宅情報を買って見ていると、大和高田に結構安い新築マンションが掲載されており、これだったら買えるかも、と思い、妻と大和高田に向かった。でも、堂島に住んでいたため、あまり電車に乗ることがなかったせいか、めちゃめちゃ電車の乗車時間が長い。おまけに駅からマンションまでの道のりが長く、ダンプカーが往来する道を10分くらい歩かねばならなかった。こりゃ、あかんわ。とてもボクたちには不便で住めない。

そうこうしているうちに、「けいはんな学術研究都市」の顧客との打ち合わせからタクシーで近鉄学園前駅に向かう途中、道端に旗が並んで立っているのをみつけ、「運転手さん、この旗はなんなの?」と聞くと「マンションを販売しているのですよ」とのこと。「ちょっと、停めて!」と言ってモデルルームに入ると「後、10分で販売終了です」とのこと。説明を聞いているうちに「う~ん、この辺りはいいんじゃないか」と思い、申し込むことにした。希望する住居を指定して抽選を行う方式だったので、日当たりが良さそうで倍率の低い(12倍)住居を選んで仮申込書に記入した。自宅に帰って、妻に「マンションを申し込んできた」と言うと、「どこで?」「奈良の学園前という駅の近く」「え~、生駒山の向こうなの?」でも結構いい住宅地らしいよ」「だってぇ、大阪まで通うことになるんよ」「駅から徒歩10分くらいだから何とかなるんじゃないの」ということで、あまり気の進まない妻に説明した。抽選日は、ボクがパラグライダーの練習日と重なったので、妻に「よろしくね。現場も見れるし。。。」と頼んでおいたのだが、自宅に帰ると妻が不機嫌そうな顔をしていた。「抽選、ダメやったん?」「ううん、当たっちゃったんよ。どうするの?」「じゃ、買おうよ」「あのね。簡単に言うけど、バナナ買ってるんじゃないよ」ということで、完全に衝動買いだったけど、住んでみると結構静かでいい住宅地だった。

後で知ったけど、学園前というのは芦屋に次ぐ高級住宅地で、駅から徒歩で通えるマンションなんてとても素敵だという話を聞いて、なるほどなと結構満足だった。その後、学園都市を中心に活動することが多くなり、ATRという研究所でソフトの共同開発したり、けいはんなプラザに事務所を借りて情報セキュリティの研究をした。また、近くの奈良先端科学技術大学院大学に入学し、勉強するなど、車による通勤をベースにすると、とてもいい住環境だった。奈良市内だったので、子供と一緒に奈良公園に遊びに行くことも容易だったし、お水取りなどの古都の行事にも出かけた。

しかし、会社を辞めて自分でビジネスを行うことになると、やはり大阪が中心になり、行き帰りが面倒くさい。そのうち、ボクは堂島に残したマンションで仕事をすることが多くなり、学園前のマンションに帰る日が少なくなった。

そんな頃、堂島のマンションのすぐ近くに43階建ての高層マンションが建設されつつあって、ちょっと気になっていた。妻に「堂島と奈良に別々に住むより、もう少し広いマンションに家族みんなで住んだほうが効率が良いと思うんだけど。。。」と切り出したが、「また、移るの? 子供だって転校しないといけないし。。。」「でも、高層で見晴らしがいいし、学校も近いよ」ということで、妻とまじめに検討することになった。マンションの営業マンの人に相談に乗ってもらいながら、奈良のマンションを売却し、頭金に組み入れた。購入するときは、既に入居が始まっていたので、未入居の住居をいろいろと見学させてもらった。高層マンションは大阪ではまだ珍しく、また、各階の形や広さの制約から、各戸の間取りは千差万別で、非常に住みにくそうな間取りもあった。ボク「あの~。上層階が気に入っているんですが。。。」「そりゃ、高層マンションは高層階がウリですし、それを求めて購入される方が多いですよ」「地震のときは、めちゃ、揺れるでしょうね」「実は、建設前に阪神大震災があって、建設省から耐震性を強化した再設計を求められたんですよ」「見晴らしは、北側の方が良さそうですね。神戸の方角には明石海峡大橋が見えるし、伊丹空港から発着する飛行機が見えるし、何といっても淀川の花火大会が丸見えですもんね」「でも、南向きだと明るいし、冬、暖かいですよ。夏は川に面していて涼しいし。。。でも、高層部分では川はほとんど視界に入りませんけどね。ただ、南にはリーガロイヤルホテルや国際会議場などの高層ビルが建っていますので、35階以上でないと見通しが悪くなりますね。それ以上上の階だと、まったく影響なく、梅田方面、大阪城、通天閣、大阪ドームなどが見通せ、夜景はそれこそ絶景です。」

「ま、とにかく夜景を見せて。」ということで、北側と南側の住戸から夜景を見せてもらった。北側住戸では、「おぉ、神戸に向かう高速道路のライトと伊丹空港に発着する飛行機がすばらしい」という感じ。で、南側は、「夜は梅田方面の夜景と、堂島川と行きかう高速道路の車。ライトアップされた大阪城など、すばらしい眺め」で、これを見て何としても欲しくなった。思わず「ちょうだい。東南角部屋の一番上の階。」と言ってしまったのだ。

2007年10月25日木曜日

タワーマンション・ライフ(1)それ以前



ボクが大阪の堂島にマンションを買ったのは、もうずいぶん昔のことで、当時は、町の中にマンションがあまりなかった時代だった。当時、ボクは独身で池田のアパートに住んでおり、北摂の大阪大学の近くのマンションを物色していた。そのマンションはとても見晴らしがよく、大阪市内を一望でき、阪急の駅にもそれほど遠くなく、車による移動もとても便利だと思ったのだ。しかし、中央環状道路沿いで、毎日ものすごい車の量と渋滞で排気ガスによる空気の汚染が気になった。

同じ市内であれば郊外よりド真ん中がいいんじゃないかと思っているとき、偶然テニスに行くため国道2号線を車で走っていると、福島あたりの道路沿いに旗が立っていて、近くにマンションのモデルルームがあると知って立ち寄ってみたのだ。環状線の線路の脇に立ち退いた一戸建ての跡地のような場所にモデルルームがあり、見てみると、堂島川のほとりに立つということだ。南向きの川べりであれば、前にビルが建つこともなくないし、大きな道路から少し離れているので静かだろうし、かなり気に入った。しかし、その日から7日間、毎日モデルルームに出向いて捺印しないと抽選会に失格という厳しい状況。結構人気があったので、買う気のない客を選別する手段だったんだろうね。ボクは、確か110番目くらいの順位番号だったけど、1週間の出席確認が終わった時点では、半分の60番目くらいになっていた。

抽選日までの間、マンション建設予定地の近くに行って、何回も現地調査を行った。まず、川に面していることが必須用件。それから、当時乗り回していたフェアレディZと一緒に入居できることが条件で、つまり駐車場があるということだ。それから、都心であるから贅沢は言えないがまあまあの環境であることだ。現地は福島区で梅田からそれほど遠くないのだけど、当時はまず堂島川が汚い。ひどいときは上流の大阪市役所のそばの淀屋橋でも川の水がプーンと匂うのだった。それから、川の堤防の内側に沢山の車が駐車しており、中にはほとんど壊れて破棄されているような車も並んでいた。

大阪の郊外である箕面に住んでいる親類のおばさんが見物に来たとき、「汚いところやねえ。こんなところに本当に住むの?」と言われてしまった。でもボクの頭の中には街に住むなら真ん中でしかも堂島だったら歴史もあるところじゃんか、と決めてしまったのだ。抽選の当日、番号の若い人から好きな住宅の場所を指定していく方法で、川に面した部屋からどんどん決まっていく。ボクの順番に来るころには、もう数戸しかない。ところが、ボクに順番が回ってきたときに、川に面した最上階が1戸残っていた。「やった~」ということで、その住居の購入を決めた訳だ。しかし駐車場は、マンションの1階に10台ほどしか場所がなくて抽選で当たらなかったので、汚いとボヤいていた川沿いの空き地に車を停めていた。

マンションが完成し、住んでみるとだんだんその街にも馴染んできた。
最初気がついたことは、街が汚い。役所が汚い。道路が汚い。
それまでは、比較的高級な住宅地のイメージがある池田市に住んでいたので、転出届を出す池田市役所と転入届けを出す福島区役所のあまりの違いに愕然としたものだ。池田市役所の美しさと若い女性が丁寧に窓口の案内をしてくれて、番号札のディスプレイによる呼び出しがあるなど今でも負けないくらい現在風だった。ところが、福島区役所に来ると、自動ドアもなく、年老いたおっちゃんが窓口でぶつぶつ言いながら薄暗い事務所で対応していたのだ。正直、「こりゃあかんわ」早く金儲けして芦屋かどっかに次の住居を探そう!と本当に思った。

しかし、街もだんだんと変わってきた。数年後、マンションから出て行く人の駐車場が空いて、抽選の結果、ボクが場所を射止めた。わ~い。その後、川沿いの空き地が整備され植樹がされて美しくなった。もちろん、車を置くこともできなくなったので、危機一髪助かった訳だ。また、1軒おいた隣に新築マンションができた。当時、比較的高級なマンションとして販売された。そのうち、川の対岸に中之島遊歩道が建設され、美しい川沿いの並木道が完成。かなり街の雰囲気が良くなってきた。その後、まわりにじゃんじゃんとマンションが建設され、バブルの頃には、めちゃバブリーなマンションもできた。特に隣に建った「アーバンライフ堂島」は、ボクたちのマンションより背が高く、川に面していない側の住居の日照に影響が大きく、ボクたちのマンションの住民が結束して建設反対運動を展開したものだ。

2007年10月20日土曜日

2007年10月19日金曜日

パソコンとテレビの接続


自宅でパソコンをベースに会議室を作っている。


そこで、会議用に液晶大型テレビとパソコンをうまく接続するため、いろいろと試行錯誤している。
私の場合、パソコンは自作のWindowsXP1台とメーカ性のVista機が1台、テレビはシャープの45インチの液晶ディスプレイである。

さて、パソコンと大型テレビ(ディスプレイ)を接続するには、多くの方法がある。

映像のケーブルでもっとも普及しているのは、コンポジット端子という赤、白、黄色の3種類のピンによるもので、利用歴史が長い。しかし、これは、主にビデオカメラやAVアンプとの接続が主流で、一般のパソコンには装備されていない。もちろん、パソコンにアナログ映像出力のあるグラフィックカードを挿入するなどの措置を講ずれば利用することは可能だが、アナログなので映像の質はよくない。
もちろん、ディスプレイ側に用意されておれば、赤、青、緑の端子によるコンポジット端末や、デジタル映像を流せるD端子なども利用できる。(ボクの場合は、コンポジット端子でビデオの映像を取り込み、DVIデジタル端子でテレビと接続している)

もっとも一般的な方法としては、普段パソコン用ディスプレイに接続するためのアナログRGB(D-sub15ピン)端子が、ディスプレイ側に入力できる装備があれば利用できる。しかし、出力がアナログなので、デジタル変換が必要である上、映像が不鮮明となる。


もし、パソコン側にDVI端子があれば、その仕様によって、アナログもしくはデジタルで映像をディスプレイに入力することができる。また、最近仕様が確定して、今後、広く使われると思われる接続方法にHDMI端子を利用することができる。この端子は、唯一映像と音声と制御信号を1本のケーブルで満たすことができる。DVI端子やHDMI端子によるデジタル方式の接続は、パソコンとディスプレイをドットツードットで表示できるため、とても鮮明に表示できる。(ボクの場合は、XPパソコンからはDVI端子、VistaパソコンからはHDMI端子で接続している。DVI端子は音声が流れないので、音声はサラウンドアンプに接続している)

XPパソコンに2画面出力可能なグラフィックカードを追加したことによって、もともと接続していたパソコンのディスプレイでいろいろなコンテンツを探し出し、そのうちの必要な資料の写ったウィンドウを、会議のための大型ディスプレイ(テレビ)にドラッグして皆で議論するなどの高等技法(どこが?)を利用しているが、これがなんとも便利である。

高齢者ネットワーク


自宅のテレビ会議システムを含む「高齢者自律ネットワーク」の環境がかなり整った。

自分が、脳出血による入院から、自宅リハビリの状況になったが、ネットワークのおかげでかなり楽しく過ごさせてもらっている。しかし、多くの高齢者は、ネットワークの恩恵に預かっていない人も多いものと思われる。最近の退職者の中には、在職中、パソコンを使って業務をこなしていた人もいるが、決められた業務にパソコンを使ったことはあっても、自分の実生活のためにパソコンを活用している人はどれくらいいるのだろう。

市場には、Skypeやmixiをはじめとして、若者であればほとんどの人が知っており、有効に活用している人が多い。もちろん、パソコンは難しいとか嫌いとか思っている高齢者の人もいるが、確かに、ワープロや業務などにパソコンを使うのは難しく面白くないが、ちょっと別の見方をすれば、これほど便利な生活用具はないと思われる。


何てったって、体の不自由な人(ボクはリハビリ中、外出がとても億劫だった)にとって、自宅にいながらにして、現実では考えられないほどの巨大デパートや日本中の各地のお店を訪ねて、ショッピングできるのだ。さらに銀行とオンライン契約を結んでおけば、その場で支払いを済ませ、宅急便などで自宅まで運んでくれるのである。

また、Youtubeなどの映像配信ツールを使うと、有料、無料のさまざまな映像コンテンツをいつでも楽しむことができるし、若かりしころ流行った思い出の映像などを懐かしく見ることができる。

Skypeやさらに高精度な画像を用いたテレビ会議システムを使うと、お互いに容易に会うことができない知人と話をしたり、趣味の合う人を見つけ出して、夜のふけるのを忘れて議論することができる。また、仲の良い友達と距離を越えて、お酒を飲み交わすこともできるのだ。

ボクの当面の環境は、世の中にある便利なサイトやボクの趣向に合ったサイトをさがしてまとめるとともに、自分の意見を密かに書き残しておくブログを作ったりすることと、知人といつでもおしゃべりできるコミュニケーション環境を構築することである。

ボクのマンションも、光ファイバーと棟内ADSLを使って、上り下り100Mbpsになったし、液晶やプラズマ大画面テレビもリーズナブルな価格になってきたし、パソコンと大画面テレビの接続もサラウンドアンプとの接続もデジタルで可能になり、それぞれの機能をフルにパソコンで活用できるようになった。

パソコンと大型テレビ(ディスプレイ)を接続することで、小さな画面の文字主体のパソコンでなく、皆で眺めたり、会議をしたり、遠隔地の人とおしゃべりができるのである。

落語とビジネス。


いつも思うのだけど、新聞記事やmixiは、なんら苦もなく書き込んでいるのに、ブログはどうも気が進まないのは、なぜだろう。

特に、このbloggerは、そもそもログイン画面を呼び出すボタンがGoogleのツールバーに用意されていないので、自分が投稿するのにたどり着くのが面倒。Googl提供のシステムとして、これはどういうことだ。

さらに、ログイン画面にたどりついても、画面の作りが新規登録に入りがちで、いつも利用するはずの「投稿」ボタンが見にくい。これは、単にボクが使い慣れていないだけなんだろうけど、それにしても「書き込みたい」って気を起こさせない画面は、問題だろう。

で、ちょっと文章を書いてみたけど、ここに写真を入れたいと思う。

そこで、この下に写真を挿入したいと思ったんだけど、アップしてから、「同意しないとアップロードできません」という文章を見つけた。先に判る様にしておけ、と言いたくなる。

とりあえず写真のアップが完了したけど、書いている本文に画像が出なくて、上の方に変なタグが出ている。
写真を貼り付けた状態はプレビューしないと見えないようだ。

確かにプレビューボタンを押すと、写真も見えたけど、今度はそのまま本文の記述ができない。

ここでも、次にどのボタンを押せば、続きを書けばよいのか迷ってしまう。
「プレビューを非表示」というボタンを押すと、元の画面に戻ったけど、これは、非表示どうのこうのという問題じゃないよね。

でも、このように動くと判れば、使うほうとしてはそれほどつらくないのかな?

ところで、アップした写真は、昨日のある会合における落語を題材にしたビジネスの話がテーマで、実際の落語を演じてもらう会場風景だが、演者の「林家歌之助」さんは、写真撮影禁止とのことで、写っていない。

でも、なんで、撮影禁止なんだろうか?
別に、顔そのものを商品として営業していないだろうに。。。
むしろ写真を撮られることが、PRに貢献しそうに思うんだけどな。
確かに、本職の落語そのものを録音するのは、禁止されても理解できるが。。。

けど、米朝一門で11年目の歌之助さんは、さすがにうまい。

今回は、上方における大きなお店の習慣やお客とのやりとりを通じたビジネス哲学や、東京と大阪の落語の発展の違いなどを話されたが、間の取り方、表情の作り方など、すごく感心した。

自分がプレゼンをやるときに、いかにこのような生き生きとした表情を作って、聴衆を引き込んでいくか、を考えさせられた。

ちなみに、歌之助さんのブログがあったので、ちょっと見ていると、新作落語も掲載されていて、そこに隠居さんの話が載っていた。
http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakug283.htm

ボクは、退職して第一線を退いた人が、余生を楽しく送るための映像を中心としたネットワークを構築しているので、ちょっと興味をもって読ませてもらった。

歌之助さんの話を聞いていると、また繁盛亭に行ってみたくなったよ。