2008年6月27日金曜日
タワ-マンションライフ(70)ノスタルジックな食堂
ボクが堂島と言う地に住んで、かれこれ30年になるけど、最初、入居したマンションと現在住んでいるマンションのすぐ近くにノスタルジックな地下食堂があることは知っていた。
ところが、今日、初めてその食堂に入った。
入り口は、狭く階段は急で、めちゃ入りにくいんだけど、中は比較的広くて大勢の人がいたのでびっくりした。
作り置きの惣菜を選んで食べることもできる、昭和の食堂イメージそのもので、うれしくなってしまった。
近くの会社の人が多く、通りがかりの女性もいた。
こんな雰囲気だとボクなんかも食べやすいなあ。
最近、オープンした店は、ワインやパスタなどの専門店を謳っているけど、1人で食事に入って面白いとは思えない。
新しい店は、経費をかけて、マーケットリサーチをして、小奇麗に作ってあるはずなんだけど。。。
ま、多くの店のターゲットが若い女性という設定なので、それでいいのかも知れない。
ボクが、街の求める世代から離れつつあるのだろうから。
しかし、都心と言う場所は、住んでいる住民のための街から、通りすがりの人間の街に変りつつあるのだ。
最近では、街の風情が大きく変りつつある中、ボクが通勤するのでなく自宅に居座ることになったこともあって、もともと住んでいた人たちとおしゃべりができる機会が増えてきたのだ。
ボクにとっては、言わば地元再発見なのだ。
食堂のおばちゃんに、「ボク、30年住んでいて、このお店に入ったの、初めてなんです。」と言ったら、「あらぁ、それは良く来てもらいましたねえ。」
「ドルミ堂島というマンションができたときに、この街に来たんよ。」
「そのころ、うちの食堂は既に営業していて、そのマンションの建設をしていた監督や作業員の人も良く来られてましたよ。」
「へえ、そうですか。あのマンションは、大阪市内に初めて建設されたモノでしたもんねえ。」
「そのときの監督というのがすごく構造に詳しくてね、「地下をこんな風に造ってあるので、地震には強いんだ」とか自慢してはりましたよ。実際、阪神大震災のとき、他のマンションはかなり被害があったんですけど、あのマンションはほぼ無傷でしたもんね。」
もちろん、その当時は耐震構造も免震機構もなかった時代だからねえ。
震災のときは、ボクは奈良にいたんだけど、このマンションの部屋の中は書籍や食器が散乱して、まるで焼却炉の中のようになっていたけど、建物は棟の継ぎ目がはずれただけだったもんな。
「でも、この辺りもずいぶん変ってきたよね。」
「そうですわ。ここんところ、周辺の建物がどんどん新しくなってね。今度、駅ができたらもっと変わるでしょうねえ。」
「向かいのBMW販売店も別の場所に移ったし。。。」
「そうです。でも、あの会社は、立て替えが終わったら、また戻られるそうですけどね。」
「そうなんですか? で、このメリヤス会館はどうなるの?」
「まだ、何の噂も出てませんねえ。」
「いずれにしろ、駅前の一等地となる場所をこのままの姿で置いておくはずはないよね。」
「そうなったら、私ら、出て行かなんとしょうないですわ。」
「バーンと大きくやったらいいですやん。」
「そーんな、とてもそんなパワーはないですよ。」
などと、食後の会話をゆっくり楽しんだ後、狭い階段を上って外へ出た。
外は、梅雨の中休みの太陽がまぶしかった。
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